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上手く書けるかわからないのですが、
今日は皆様にご報告せねばなりません。
本日だけの内容、
そして
乱文ですがお許し下さい。
私の自慢の姉のこと。
4歳でピアノを始めた姉、
その姉が楽しそうに弾いているピアノを見て
幼稚園だった私もピアノを習いたいと母に頼み、
一緒にピアノ教室に通った。
小学校の頃
姉が吹いていたコルネットを
私も一緒に吹いて遊んだ。
気がつけば二人とも音楽の道を選択。
プロで活躍していたクラシックピアニストの姉
その後姿を見ながらプロのジャズトランペッターを目指した私。
いつもどんな時も私の音楽を心から応援し支えてくれる
人に優しく、自分に、そして音楽に厳しい真のアーティスト。
今迄、どんな艱難な状況であっても
いつも勤勉で明るく前向きなその心で乗り越え。
これ以上無いくらい純粋に音楽を追求し続ける
そんな姉といつかは一緒に演奏できるようになりたい。
それが夢でした。
バッハ、そしてベートーベンを愛していた姉は
ピアニストとして更なる音楽の奥行き、
そして裏付けを追求するべく全てを捨てジャズの世界へ。
それまで家で数々の連弾を弾いて遊び、
いつも音楽談義に花が咲き止まらない。
音大時代は姉の伴奏で試験に臨みました。
でもお互いがプロフェッショナルの道に入ってから、
改めてオリジナルサウンドを創るここからの姉弟の共演は
何にも代え難い子供の頃の夢が叶った瞬間でもありました。
2003年
遂に「CHO Sister Brothers」が生まれ、
姉弟の夢がはじまりました。
2007年にはアメリカSXSW世界音楽祭に出演を決めるまで
共にサウンドを研究、模索しながら二人三脚で歩いて来ました。
小学校の時いつも一緒に学校へ通っていた時と同じように。
同じ音楽をプロフェッショナルに
真剣に作り上げて行ける事は、
音楽家として生きて行く上でも、
姉弟としても、家族全員が
本当に本当に幸せな時間でした。
アメリカ、ヨーロッパツアーと活動の幅も広がり、
さぁこれからという時期、
帰国後の姉の身体に異変がみつかりました。
癌です。
それでも事務所に企画頂いていた「帰国報告ライブ」は
絶対に演奏する!と。
コンサートの翌日から闘病がはじまりました。
お医者様から余命を告げられる中
家族一丸となって闘い、
そして自分に決して甘えない不屈の精神な姉は
見事に病に打ち勝ち、奇跡を見せてくれました。
目の前で起こる奇跡の数々に家族もメンバーも共に喜び
希望に溢れる時間でした。
姉の愛するCHO Sister Brothersのメンバーと共に
幾多のステージを本当に頑張って 演奏をしてきました。
そんな2年あまりの時間でした。
23日 11時56分
精一杯頑張った姉は家族みんなの見守る中
静かにおだやかに旅立ちました。
大好きな大好きな姉は
最後まで本当に弱音一つ言わずに
その瞬間まで病と闘い続け、
言って欲しいわがまますら口にしない
我慢強い素晴らしい姉でした。
18日に誕生日を迎えた姉を一緒に祝うことが出来た
その瞬間だけは、姉と一緒に闘って来た病室も
私たちにとって希望の一時でした。
何れ私も行くところと理解していますが
今は
まだ信じたくありません。
今まで姉の事を応援してくださった皆様
いつもいつも本当に本当にありがとうございました。
今、姉に代わりまして本当に深く深く感謝申し上げます。
今迄病気の事を黙っていてごめんなさい。
共に支え合い
震災を乗り越え
姉と始めることの出来た音楽
「CHO Sister Brothers」は永遠の宝物です。
Chie 智慧&智仁 Tommy
今日は皆様にご報告せねばなりません。
本日だけの内容、
そして
乱文ですがお許し下さい。
私の自慢の姉のこと。
4歳でピアノを始めた姉、
その姉が楽しそうに弾いているピアノを見て
幼稚園だった私もピアノを習いたいと母に頼み、
一緒にピアノ教室に通った。
小学校の頃
姉が吹いていたコルネットを
私も一緒に吹いて遊んだ。
気がつけば二人とも音楽の道を選択。
プロで活躍していたクラシックピアニストの姉
その後姿を見ながらプロのジャズトランペッターを目指した私。
いつもどんな時も私の音楽を心から応援し支えてくれる
人に優しく、自分に、そして音楽に厳しい真のアーティスト。
今迄、どんな艱難な状況であっても
いつも勤勉で明るく前向きなその心で乗り越え。
これ以上無いくらい純粋に音楽を追求し続ける
そんな姉といつかは一緒に演奏できるようになりたい。
それが夢でした。
バッハ、そしてベートーベンを愛していた姉は
ピアニストとして更なる音楽の奥行き、
そして裏付けを追求するべく全てを捨てジャズの世界へ。
それまで家で数々の連弾を弾いて遊び、
いつも音楽談義に花が咲き止まらない。
音大時代は姉の伴奏で試験に臨みました。
でもお互いがプロフェッショナルの道に入ってから、
改めてオリジナルサウンドを創るここからの姉弟の共演は
何にも代え難い子供の頃の夢が叶った瞬間でもありました。
2003年
遂に「CHO Sister Brothers」が生まれ、
姉弟の夢がはじまりました。
2007年にはアメリカSXSW世界音楽祭に出演を決めるまで
共にサウンドを研究、模索しながら二人三脚で歩いて来ました。
小学校の時いつも一緒に学校へ通っていた時と同じように。
同じ音楽をプロフェッショナルに
真剣に作り上げて行ける事は、
音楽家として生きて行く上でも、
姉弟としても、家族全員が
本当に本当に幸せな時間でした。
アメリカ、ヨーロッパツアーと活動の幅も広がり、
さぁこれからという時期、
帰国後の姉の身体に異変がみつかりました。
癌です。
それでも事務所に企画頂いていた「帰国報告ライブ」は
絶対に演奏する!と。
コンサートの翌日から闘病がはじまりました。
お医者様から余命を告げられる中
家族一丸となって闘い、
そして自分に決して甘えない不屈の精神な姉は
見事に病に打ち勝ち、奇跡を見せてくれました。
目の前で起こる奇跡の数々に家族もメンバーも共に喜び
希望に溢れる時間でした。
姉の愛するCHO Sister Brothersのメンバーと共に
幾多のステージを本当に頑張って 演奏をしてきました。
そんな2年あまりの時間でした。
23日 11時56分
精一杯頑張った姉は家族みんなの見守る中
静かにおだやかに旅立ちました。
大好きな大好きな姉は
最後まで本当に弱音一つ言わずに
その瞬間まで病と闘い続け、
言って欲しいわがまますら口にしない
我慢強い素晴らしい姉でした。
18日に誕生日を迎えた姉を一緒に祝うことが出来た
その瞬間だけは、姉と一緒に闘って来た病室も
私たちにとって希望の一時でした。
何れ私も行くところと理解していますが
今は
まだ信じたくありません。
今まで姉の事を応援してくださった皆様
いつもいつも本当に本当にありがとうございました。
今、姉に代わりまして本当に深く深く感謝申し上げます。
今迄病気の事を黙っていてごめんなさい。
共に支え合い
震災を乗り越え
姉と始めることの出来た音楽
「CHO Sister Brothers」は永遠の宝物です。
Chie 智慧&智仁 Tommy