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無題
心配する親
周囲の失笑
「まだやってんの?」
「食えんのかいな?」
「甘ないデ」
「親不孝や」
「はやく田舎帰りや」
「ばか息子」
あらゆる言葉を振り切るだけの
熱い気持ちを持って
確かに無鉄砲な、それでいて
言われる程に何故か無責任にと
湧き上がってくる無根拠な「情熱」に任せて
音楽の世界に飛び込んだ20代。
いや根拠は単純だった。
「何よりも音楽が好き」だ。
美味しいものも好きだけど。
情熱は「一時的な感情の高揚」
とも言えるのかも知れない。
「自分の情熱を証明出来ない人生」
その方が私にとって
最も自分への背信行為に思えた。
だから
早く目覚ましてまともな仕事しろ
の至って常識な言葉が
私には響く隙がなかったようだ。
この時点で「非常識な人間」
のレッテルはもはや免れなくなった。
だから食えなくても
バイトはしない!
と先ずは勝手な自分ルールを課したのは
それ故だ。
身の丈に合わない舞台でも
割に合わない舞台でも
私には分ける意味など存在しなかった。
音楽が出来るなら
何でもやる何処でも行く。
キャベツ刻むスピードと
孤独の耐え抜き方は
あの頃に鍛えられた。
3年間水風呂で過ごして
身体も鍛えられた。
誰とも口をきかず
半月過ぎることなど珍しい事ではなかった。
ある時先輩の誰かが言った。
音楽家にとって
「練習こそ最も重要な仕事である。」
ましてや駆け出しのミュージャンだった私
その言葉が支えとなった。
仕事などなく食えなかろうが
誰とも会えなかろうが
むしろ「最も重要な仕事」をしてるんだ!
と練習してる時だけが
自分で自分を認められる唯一の時間だった。
ある時母が
子供がそこまでしてやってる事を
応援しないわけにいかない
あんなに心配して
30までやったら諦めなさいと
言って親子ケンカしてた
その母が言った。
いまでも小言的嘆きはくれる。
「いつになったらクイーンエリザベス号に
乗れるのかな」
子供の頃母と姉と神戸港に入港していた
豪華客船クイーンエリザベス号を観に行った時
楽しそうに眺めてる母をみて
どうやらチビの私は
「オトナになったらこれにママを
乗せたげるから」
と言った私の戯言を今でも
覚えていてくれてる。
「最近物忘れが多くてやだワ」
と言いながら。
未来はどうなるか分からない不安
「不安定」は「安定」と言う言葉を前にすると
存在してはならないかのような
そんな人類史上誰にでもこぞって存在する
最もつまらない問題であり、
最も悩まされるている問題。
我々の住む不確かな世の中で確かに言える事は
経験した「時間」だけは確かだ
だから
下手くそが少しはマシになれる練習は
「お仕事」より大事な「仕事」で
自分で自分の命を証明する
唯一の時間
とか偉そうに言ってみたり。
あれから30年
今では沢山の人と接することの
如何に幸せなことか
笑顔で口がきけてることが如何に
有り難い時間なのか
自分の過ごしたあの時の時間がいつも
今の自分に教えてくれてる。
あの時逃げてたら
今感じている感謝の気持ちの100分の1
になっていることなど気づかないまま
「皆さんに感謝」だと精一杯のつもりで
言ってると思う。
自分の内から出た情熱は
誰かが証明するものではない。
「無様だ」
それが自分だ
と知らなければ時間は始まらない。
新型コロナで失職状況のこの二ヵ月
全くもって無様だ。
でもこれが自分だから息ができる。
いや、息できてるのは
人の心が繋がっているのを感じれるからだ。
孤独とは何か…
孤独と感じるのは「自分の不安」こそが
生み出した世界だと知ってる。
世の中がどう浮き沈みしようが
やるだけ。
やらない理由
やれない理由など
語ったところで何処にも着地しない。
「生き様は死に様」
と言ってみたりして。
あぁ美味しいカレーが食べたい。
周囲の失笑
「まだやってんの?」
「食えんのかいな?」
「甘ないデ」
「親不孝や」
「はやく田舎帰りや」
「ばか息子」
あらゆる言葉を振り切るだけの
熱い気持ちを持って
確かに無鉄砲な、それでいて
言われる程に何故か無責任にと
湧き上がってくる無根拠な「情熱」に任せて
音楽の世界に飛び込んだ20代。
いや根拠は単純だった。
「何よりも音楽が好き」だ。
美味しいものも好きだけど。
情熱は「一時的な感情の高揚」
とも言えるのかも知れない。
「自分の情熱を証明出来ない人生」
その方が私にとって
最も自分への背信行為に思えた。
だから
早く目覚ましてまともな仕事しろ
の至って常識な言葉が
私には響く隙がなかったようだ。
この時点で「非常識な人間」
のレッテルはもはや免れなくなった。
だから食えなくても
バイトはしない!
と先ずは勝手な自分ルールを課したのは
それ故だ。
身の丈に合わない舞台でも
割に合わない舞台でも
私には分ける意味など存在しなかった。
音楽が出来るなら
何でもやる何処でも行く。
キャベツ刻むスピードと
孤独の耐え抜き方は
あの頃に鍛えられた。
3年間水風呂で過ごして
身体も鍛えられた。
誰とも口をきかず
半月過ぎることなど珍しい事ではなかった。
ある時先輩の誰かが言った。
音楽家にとって
「練習こそ最も重要な仕事である。」
ましてや駆け出しのミュージャンだった私
その言葉が支えとなった。
仕事などなく食えなかろうが
誰とも会えなかろうが
むしろ「最も重要な仕事」をしてるんだ!
と練習してる時だけが
自分で自分を認められる唯一の時間だった。
ある時母が
子供がそこまでしてやってる事を
応援しないわけにいかない
あんなに心配して
30までやったら諦めなさいと
言って親子ケンカしてた
その母が言った。
いまでも小言的嘆きはくれる。
「いつになったらクイーンエリザベス号に
乗れるのかな」
子供の頃母と姉と神戸港に入港していた
豪華客船クイーンエリザベス号を観に行った時
楽しそうに眺めてる母をみて
どうやらチビの私は
「オトナになったらこれにママを
乗せたげるから」
と言った私の戯言を今でも
覚えていてくれてる。
「最近物忘れが多くてやだワ」
と言いながら。
未来はどうなるか分からない不安
「不安定」は「安定」と言う言葉を前にすると
存在してはならないかのような
そんな人類史上誰にでもこぞって存在する
最もつまらない問題であり、
最も悩まされるている問題。
我々の住む不確かな世の中で確かに言える事は
経験した「時間」だけは確かだ
だから
下手くそが少しはマシになれる練習は
「お仕事」より大事な「仕事」で
自分で自分の命を証明する
唯一の時間
とか偉そうに言ってみたり。
あれから30年
今では沢山の人と接することの
如何に幸せなことか
笑顔で口がきけてることが如何に
有り難い時間なのか
自分の過ごしたあの時の時間がいつも
今の自分に教えてくれてる。
あの時逃げてたら
今感じている感謝の気持ちの100分の1
になっていることなど気づかないまま
「皆さんに感謝」だと精一杯のつもりで
言ってると思う。
自分の内から出た情熱は
誰かが証明するものではない。
「無様だ」
それが自分だ
と知らなければ時間は始まらない。
新型コロナで失職状況のこの二ヵ月
全くもって無様だ。
でもこれが自分だから息ができる。
いや、息できてるのは
人の心が繋がっているのを感じれるからだ。
孤独とは何か…
孤独と感じるのは「自分の不安」こそが
生み出した世界だと知ってる。
世の中がどう浮き沈みしようが
やるだけ。
やらない理由
やれない理由など
語ったところで何処にも着地しない。
「生き様は死に様」
と言ってみたりして。
あぁ美味しいカレーが食べたい。