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追悼
ことばが見つかりません。
掛け替えの無い命がこの世を去った事、
やはり綴らない訳にはいかないと思います。
思いつくままに、時間をかけて
少しずつ記して行きたいとおもいます。
『The Nature Voices』 (1998~forever)

阪神淡路大震災の後、
オーボエ・イングリッシュホルン奏者の施秀麗さんとの再会から
お互いの生存を讃え合いながら結成したのが始まりでした。



阪神高速道路倒壊現場の真横に家があった彼女
怪我なく無事でいたことは本当に奇跡的なことでした。


この当時に是非施さんのイングリッシュホルンにと書いた曲が
"Voice of the Earth"
でした。

(2004 NatureVoices live in Toyama)
真っすぐな心で歌う彼女の素晴らしい音色で
この曲がNature Voicesの代表する曲となり、
以降数百回と演奏を続けてきました。
そして2001年からは更にメンバーが加わりカルテットに。
長野ツアーに初めて行かせて頂いたのが
実はこの「Nature Voices」として、でした。


(2005年 NatureVoices live tour in Nagano )
なので長野へ行きますと皆様の中ではネイチャーさん
と覚えていて下さります。
2006年の2月、演奏終えた直後、
突然意識を失い倒れてしまいました。
お医者様の診断は脳梗塞といわれましたが、
事態はそう易しくはありませんでした。
翌日にはいつもの笑顔で後遺症も全くなく
本当に無事で良かったと皆で心から喜びました。
NVとしての活動は休止を余儀なくされました。


(和歌山 live前、いつも笑顔/2006年5月 手術前の病室にて)
MRIの画像にいやな影が見つかりました。
病院を移り再検査をした結果、
脳腫瘍であると診断が下されました。
レベル4でした。

(2005年 Syuree Jazz Quintet ロケ)
でも愕然としている時間はありません。
とにかく日々闘いの始まり。
笑われるかも知れませんが
絶対に治す!
そう心に誓い本人と皆と知恵を絞りました。
現状の病院で出来うること、
標準医療の限界を知ること、
新薬や治療法を知る事、
とにかくあらゆる情報を頭に叩き込み、
そして冷静に整理しながら、
決断をしました。
手術をしても半年~一年でしょうと言われました。
どの本を開いて見ても、
標準医療の範囲では5年後の生存率は厳しいとしかありませんでした。
そんな時
一つの薬を見付ける事が出来ました。
処方してくれる場所は東京。
彼女は迷う事なく手術の前に直にとんで行きました。
思った通りの素晴らしい先生と巡り会う事が出来、
納得の見解と説明にとっても勇気付けられました。
漢方と西洋医学の融合治療で結果が上がり始めている治療法、
手術前の身体作りに先ず脳腫瘍対策の漢方を始めました。
それから一月後今先ずしなければならない一手、
緊急手術に臨みました。
手術は9時間以上にもなる大手術でしたが
無事に成功。
漢方のお陰でがん細胞の周りにマクが出来、
悪い細胞が広がり難い状況が出来ていた、と執刀医の先生。
始めは「漢方は効かない」と笑った先生や看護婦さんも
非常に感心されていました。
私たちは顔を見合わせ、心でガッツポーズをしました。
その後ICUを出た後も、麻痺もなく第一関門を突破、
ご家族とメンバーと皆で喜びを分かち合いました。


(2007 病室にて/退院後に新しいウィッグをプレゼント)
それからは治療に東京へ通いながら、
再発と治療の繰り返しの日々でした。


(2008年 神戸大学病院にて回帰コンサートでメンバーと/
2008年7月 お箸のリハビリで動かなかった右手が回復)
再手術も3回。
本当によく頑張りました。
右半身がの自由が効き難くなってしまっても
心折れる事なくいつも通りリハビリを頑張り続けました。

(彼女のお気に入り)
お医者様に「半年」と言われてから
ご家族とメンバーと秀麗ちゃんと歩んだ4年半、
本当奇跡を何度も何度も私たちに与えて下さいました。
全ての奇跡に今改めて心から感謝です。
私も精一杯生きることが出来ました。
掛け替えの無い命がこの世を去った事、
やはり綴らない訳にはいかないと思います。
思いつくままに、時間をかけて
少しずつ記して行きたいとおもいます。
『The Nature Voices』 (1998~forever)

阪神淡路大震災の後、
オーボエ・イングリッシュホルン奏者の施秀麗さんとの再会から
お互いの生存を讃え合いながら結成したのが始まりでした。



阪神高速道路倒壊現場の真横に家があった彼女
怪我なく無事でいたことは本当に奇跡的なことでした。


この当時に是非施さんのイングリッシュホルンにと書いた曲が
"Voice of the Earth"
でした。

(2004 NatureVoices live in Toyama)
真っすぐな心で歌う彼女の素晴らしい音色で
この曲がNature Voicesの代表する曲となり、
以降数百回と演奏を続けてきました。
そして2001年からは更にメンバーが加わりカルテットに。
長野ツアーに初めて行かせて頂いたのが
実はこの「Nature Voices」として、でした。


(2005年 NatureVoices live tour in Nagano )
なので長野へ行きますと皆様の中ではネイチャーさん
と覚えていて下さります。
2006年の2月、演奏終えた直後、
突然意識を失い倒れてしまいました。
お医者様の診断は脳梗塞といわれましたが、
事態はそう易しくはありませんでした。
翌日にはいつもの笑顔で後遺症も全くなく
本当に無事で良かったと皆で心から喜びました。
NVとしての活動は休止を余儀なくされました。


(和歌山 live前、いつも笑顔/2006年5月 手術前の病室にて)
MRIの画像にいやな影が見つかりました。
病院を移り再検査をした結果、
脳腫瘍であると診断が下されました。
レベル4でした。

(2005年 Syuree Jazz Quintet ロケ)
でも愕然としている時間はありません。
とにかく日々闘いの始まり。
笑われるかも知れませんが
絶対に治す!
そう心に誓い本人と皆と知恵を絞りました。
現状の病院で出来うること、
標準医療の限界を知ること、
新薬や治療法を知る事、
とにかくあらゆる情報を頭に叩き込み、
そして冷静に整理しながら、
決断をしました。
手術をしても半年~一年でしょうと言われました。
どの本を開いて見ても、
標準医療の範囲では5年後の生存率は厳しいとしかありませんでした。
そんな時
一つの薬を見付ける事が出来ました。
処方してくれる場所は東京。
彼女は迷う事なく手術の前に直にとんで行きました。
思った通りの素晴らしい先生と巡り会う事が出来、
納得の見解と説明にとっても勇気付けられました。
漢方と西洋医学の融合治療で結果が上がり始めている治療法、
手術前の身体作りに先ず脳腫瘍対策の漢方を始めました。
それから一月後今先ずしなければならない一手、
緊急手術に臨みました。
手術は9時間以上にもなる大手術でしたが
無事に成功。
漢方のお陰でがん細胞の周りにマクが出来、
悪い細胞が広がり難い状況が出来ていた、と執刀医の先生。
始めは「漢方は効かない」と笑った先生や看護婦さんも
非常に感心されていました。
私たちは顔を見合わせ、心でガッツポーズをしました。
その後ICUを出た後も、麻痺もなく第一関門を突破、
ご家族とメンバーと皆で喜びを分かち合いました。


(2007 病室にて/退院後に新しいウィッグをプレゼント)
それからは治療に東京へ通いながら、
再発と治療の繰り返しの日々でした。


(2008年 神戸大学病院にて回帰コンサートでメンバーと/
2008年7月 お箸のリハビリで動かなかった右手が回復)
再手術も3回。
本当によく頑張りました。
右半身がの自由が効き難くなってしまっても
心折れる事なくいつも通りリハビリを頑張り続けました。

(彼女のお気に入り)
お医者様に「半年」と言われてから
ご家族とメンバーと秀麗ちゃんと歩んだ4年半、
本当奇跡を何度も何度も私たちに与えて下さいました。
全ての奇跡に今改めて心から感謝です。
私も精一杯生きることが出来ました。
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